2020年08月09日主日礼拝式メッセージ

メッセージ

『祝福の管となる』
宇野雄司牧師
ヨハネの福音書 6:28~29

 

プログラム

 

巻頭言

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『祝福の管となる』
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イエスは神の業をしたければまず信じなさいと教えられました。行うことよりも信じることが優先するということです。
では、ここでイエスが語っている「信じるとは」、どのようなことでしょうか?
それは第一に、イエスと心を合わせるということです。2歴代16:9に「主は、、、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわし、、、。」とあります。私たちの心は主の方に向いているでしょうか?それとも他の方に向いているでしょうか?主の業を行う前に、我々の心が主に向いていなければなりません。
第二に、信じるとは、イエスに従うことです。従うとは自我に死ぬという、最も高い代価の伴う行為です。イエスはヨハネ12:24で「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ実を結べない、と教えました。また、イエスはマタイ11:6で、「わたしにつまずかない者は、さいわいである」。と語られました。私たちはどのような時にイエスにつまづくのでしょうか?あなたは、日頃どのようなことでイエスにつまづいておられますか?(宇野雄司)

  

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