2025年2月16日 主の日礼拝式 メッセージ

メッセージ

『人生の意味の探求』

The Pursuit of Meaning of Life 

―6.人生に何が残されているか?―   

 What’s Left in Life? 

 川井信雄牧師

伝道者の書12:8~14(新改訳旧1154ページ、口語訳旧932ページ)

プログラム

礼拝式ライブ配信

 

巻頭言

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「人生に何が残されているか?」
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伝道者の書の著者は、伝道者ソロモンによる人生の意味の探求を、死の現実を前にすべては空しく、この世の何にも人生の意味を見出すことはできないと結論付けた。それでは、人生に何が残っているのか?伝道者の書の著者は、神を恐れ、神の命令を守り、神の裁きがあることを覚えて今を生きよと招く(12:8-14)。しかしこの時点で、伝道者も、伝道者の書の著者も持っていないものがあった。それは空しさに対する望み。新約聖書には伝道者の書が一回も引用されていないが、伝道者の書の結論が「虚無」という言葉で暗示され(ローマ8:18-21)、イエスこそが空しさに対する「望み」であると証されている(1ペテロ1:3-4)。イエスは人類を虚無から救うために、その呪いを十字架でその身に受け、伝道者が最も恐れ、虚無を生じさせる死に対しても勝利があることを三日目に死人の中から甦ったことによって表した。イエスにあって死は人生の意味の終わりではなく、神の臨在への入り口。だからこそ、イエスにある望みをもって、神を礼拝し、神の教えに従い、終末を覚えて今を生きたい。イエスとの交わりにこそ人生の意味がある。(川井信雄)




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