メッセージ
マタイの福音書15:21~28 (新改訳31ペ―ジ、口語訳24ページ)
メッセージ 『信仰生活あるある』 What Happens in Faith Life
―4.絶望的で必死になる時― When You are Desperate
川井牧師
巻頭言
======================================== 『絶望的で必死になる時』 ========================================= ツロとシドンの地方で、イエスは、娘が悪霊に取りつかれて絶望的で必死であった母親に出会った(マタイ15:12-28)。 女はイエスの助けを求めたが、イエスは母親に一言も答えなかった(23)。 神の救いの計画がまずはイスラエルの民(その後異邦人に与えられる)であると母親に語った(24)。 子どものパンを小犬に与えないとさえ語った(26)。 それでも母親はあきらめずに求め続けた。 最終的にイエスは母親の願いを叶え、彼女の信仰の深さを称賛した(28)。 イエスは、母親の唯一の希望が神の憐れみに身を委ねることであると受けとめるよう母親を導いた。 そして、神の国が人種を超えてご自身を信じる全ての人に開けていることを表した。 私たちも絶望的で必死になる時、イエスの憐れみを求めよう。神は偏り見る方ではない。 イエスを信じる全ての人に救いが与えられる。 その過程で、神が何も語らない時、私たちの願いとは異なることを語る時、祈りの答えを与えない時があるかもしれない。 それは私たちの唯一の希望が神の憐れみに身を委ねることであると受けとめるよう私たちを導くため。 イエスにあって神の憐みを求め続けよう。 (川井信雄)