2022年8月7日 主の日礼拝式メッセージ

メッセージ

『君は神の友となるため生まれた』You were Born to be God’s Friend

 ―7. 友のためのとりなし ―Intercession for Friends     

川井信雄牧師

聖書:

創世記18:20~33(新改訳旧27ページ、口語訳旧20ページ)

プログラム

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巻頭言

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『友のためのとりなし』
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主と御使いたちがアブラハムを訪ねた。主は罪深いソドムとゴモラの町を滅ぼすか確認しようとしていた。町にはアブラハムのいとこのロトたちもいた。アブラハムは主にとりなした。「あなたは正しい人を悪い人と共に滅ぼすのですか?あなたがそんなことするはずがありません。町に正しい人が50人、45人、40人いたらどうしますか?」更に大胆になって「30人、20人、10人いたら?」主は憐れみの内に町全体を滅ぼさないと応えた。神の憐れみとは、私たちが価するものを神が与えないことを意味する(ここでは罪の裁き)。確かに、アブラハムのとりなしによって、神は裁きを止めたが、無効にしたわけではない。人はそれぞれ罪の結果に責任を持ち、神の憐れみを求めなければならない(エゼキエル14:12-20)。究極的には、神と私たちの間に立つ、唯一の仲介者、イエスがとりなしておられ(ローマ8:34;1テモテ2:5)、私たちはイエスにあって神の憐れみと救いの恵みを受ける。私たちのとりなしを必要としている友がいるか?神の憐れみを求めて、イエスにあって大胆にとりなしたい(1テモテ2:1-2)。
(川井信雄)

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