教会案内
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教会案内

ご挨拶
百合丘キリスト教会に興味をもってくださり、ありがとうございます。教会は初めてという方も、久しぶりという方も、この地域に来たばかりで、教会を探しているという方も。 あなたのための居場所がここにあります。
私たちは、人々をイエス・キリストを中心とした新しい生き方へと導き、共に成長することを目的とする、信仰と希望と愛の交わりです。 イエス様が私たちを愛されているようにお互いを愛し合いながら教会の営みを共に歩んでいます。
教会では素晴らしい経験をすることができます。神さまを一緒に礼拝し、聖書を一緒に学び、交わりを一緒に深め、一緒に仕え、イエス様を一緒に伝える。
だからこそ、更なる一歩踏んで、教会に来てくださることを心からお待ちしています。
ぜひお越しください。お会いできるのを楽しみにしています。
牧師 川井信雄
ミッションステートメント
ミッションステートメント
私たちのミッションは、すべての人々をキリスト中心の新しい生き方へと導き、共に成長することである。
(マタイ28:19-20aに基づいて)
教会の歴史

1963年
- 2月 百合丘に220坪を購入
- 5月 近藤裕先生(~1968年6月)が百合丘に着任し、家庭集会を開始
- 7月 母教会を川崎教会とし、連盟拠点伝道所となる

1964年
- 2月 第一主日より礼拝を開始
- 4月 めぐみ幼稚舎を開始
1965年
- 7月 教会組織会議を経て百合丘キリスト教会となる(在籍会員29名)
1968年
- 8月 鎌田洋二先生が当教会牧師に着任(~1976年5月)
1977年
- 11月 岩切健先生が当教会牧師に着任(~1985年4月)
1986年
- 4月 川井髙雄先生が当教会牧師に着任(~2003年3月)
1993年

- 5月 新会堂完成
2005年
- 4月 鉄井三千夫先生が当教会副牧師として着任(2011年5月より協力牧師~2013年1月)
2006年
- 4月 川井信雄先生が当教会牧師として着任(~現在に至る)
2008年
- 3月 ミッションステートメントを制定
2016年
- 4月 宇野雄司先生が当教会協力牧師として着任(~2025年3月)
2026年
- 4月 氷川英俊先生が当教会協力牧師として着任
教会の信仰告白
聖書
聖書は神の霊感により書かれたものにして、神の人類救済の聖旨を示し、我等の信仰生活における、唯一かつ完全な基準であることを信ず。
神
唯一にして真なる生ける神を信ず。神は天地創造の主であり、父・子・聖霊なる三位一体にして、人類救済の業と万物支配において、完全なる人格をあらわし給うことを信ず。
人間の堕落
人は神の像に似せてつくられしが、神への不従順により罪におち、永遠の亡びに定められたるものなることを信ず。
救い
人はすべて、キリストの贖罪の死と復活を信ずる信仰によりてのみ、全き救いを受け、永遠の生命に至ること、これは神の恩寵のみによるものにして、人の業にあらざることを信ず。
悔改め、信仰、新生、聖化
人は救われんために、罪の悔改めと、主イエス・キリストを救い主と信ずる信仰と、聖霊の導きによりて新生の経験をなし、かつ、聖化にあずかることを信ず。神の選びは、罪なる人の救済、新生・聖化の業が行われ、福音を信ずる結果によってこれを確認しうることを信ず。
教会
教会は主イエス・キリストがその頭にして、キリストの福音を信じてバプテスマを受けたる信者の自主的な集まりであることを信ず。教会は主にある交わりを深め、礼典を守り、キリストの福音を宣教するものであることを信ず。教会の役員は、牧師と執事であって、その職能はテモテへの手紙、テトスへの手紙の示すものなることを信ず。
礼典
バプテスマは、父・子・聖霊の名によって行われる水の浸礼であり、この形において、主の十字架の死と復活への信仰と服従をあらわし、キリストのいさおしによって罪に死に新しき生命に甦ることを象徴し、教会の交わりに入る不可欠の礼典なることを信ず。また、主の晩餐式は、主の十字架の贖罪愛を記念し、同時に、主の再臨を待望して守る礼典なることを信ず。
クリスチャン生活
クリスチャンは、週のはじめの日を「主の日」として、主イエス・キリストの復活を記念し、礼拝をささげ、この日を神のため、かつ、個々の魂のために、きよく守ることを信ず。かつ、聖霊に導かれ、生きた聖なる供えものとして神にささげ、一切のことを主イエスの名によってなし、常に福音の証しをなすものなることを信ず。国の政府は神の定め給うものにして、社会の安寧秩序のためなることを信ずる故に、我らは我らの良心の唯一の主にして王の王たるキリストの御旨に反せざる限り、これに従うべきものなることを信ず。
終末
この世の終末の来ること、その時、主イエス・キリストは世を審き、未だ救いにあずからざる罪人は永遠の亡びに、信仰による義人は永遠の救いに定められることを信ず。